享禄2年(1529年)牧野古白によって築かれた。 牧野古白は牧野城から一色城へ移り、永正2年(1505年)には吉田城を築いて居城を移した。この後、一色城には瀬木城より牧野成勝を置いたが、この成勝に命じて新城を築き、牛久保城と改称して一色城を廃した。
天正18年(1590年)牧野康成の時、徳川家康の関東移封にともない上野国大胡へ二万石で転封となった。
その後は吉田城主池田輝政の家臣荒尾平左衛門の居城となったが、元禄13年(1700年)廃城となった。
現在は市街地となり、牛久保駅近くに石碑と案内板があるのみで遺構は残っていない。