元和9年(1623年)山内一唯によって築かれた。 山内一唯は土佐藩主初代山内一豊の弟山内康豊の四男で、二代藩主山内忠義の弟である。
山内一唯は大阪冬の陣に徳川秀忠に従って出陣し軍功を挙げた。これによって元和9年(1623年)武蔵国足立郡内に三千石の所領を賜り旗本となった。
旗本山内家は一唯を初代として一輝・一俊・豊房と続き、元禄2年(1689年)山内豊房が土佐藩主山内豊昌の養子となり、所領は上知となった。
中釘陣屋は山内氏の菩提寺である妙玖寺の南西側の丘陵に築かれていたというが、特に遺構はない。
妙玖寺はもともと果成寺であったが、一唯の母妙玖院の菩提寺としたことから妙寺と改めたものだという。境内には一唯、一輝、栄松院、法養院の墓がある。