明和4年(1767年)秋元凉朝によって築かれたと云われる。
河越藩主秋元凉朝は明和4年(1767年)西の丸老中を辞すと、同年出羽国山形の転封を命ぜられた。このとき、飛び地として残された所領を管理すめために築いたのが中山陣屋という。凉朝は翌明和5年(1768年)に隠居して家督は秋元永朝が継いでいる。
天保12年(1841年)河越藩主松平大和守斉典のとき、三方領地替えを画策して出羽国庄内への転封が決まっていたが庄内領民の激しい反対によって命令は取り消され、かわりに二万石を加増、このときこの地も河越藩領となり陣屋は廃された。
中山陣屋は現在の中山小学校の地に築かれていた。 特に遺構はないが、秋元家十三代当主 子爵秋元春朝による「中山営址碑」が建っている。