築城年代は定かではないが鎌倉時代に足利基氏によって築かれたと云われる。 足利基氏は足利尊氏の二男で室町幕府初代鎌倉公方である。
貞治2年・天平18年(1363年)足利基氏は反乱を起こした下野の芳賀伊賀守高貞を岩殿山の合戦で撃ち敗ったが、このとき布陣したのがこの地と推定されている。ただ基氏がこの地にいたのは合戦のあった短期間で、その後は下野へ陣を進めており長期滞在していない。
足利基氏館は九十九川北岸にあり、北の丘陵からなだらかに降りてくる緩斜面に築かれている。征夷大将軍坂上田村麻呂が岩殿山の悪竜を退治し、首を埋めたと伝えられる弁財沼の東に位置しする。
館は車道から北側の部分に東西北の三方を巡る土塁と堀が現存している。東西180m程、南北は50m〜70m程の規模で東西二郭である。館の東端部分に案内板が設置されている。西端部分の民家方に聞いた所、北側に堀が巡っており、簡単に見ることができるというので、少しお邪魔して見学させて頂いた。曲輪内はそのまま斜面になっている。
県道212号線沿いに道標が出ている。西側にある弁財沼の所に駐車できる。
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