築城年代は定かではない。一説に松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水が城主であったと伝えられる。
歴史については詳らかではないが、近年の発掘調査で出土遺物は十五世紀末から十六世紀前葉の年代で、長享年間(1487年〜1489年)の扇谷上杉氏と山内上杉氏の長享の大乱のあと、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために築いたものと考えられている 。
杉山城は市野川と粕川との間にある比高50m程の丘陵に築かれている。 中規模ながら洗練された縄張りを持つ城郭で、残存度も整備状況も極めて良好で、中世城館として是非見ておきたい一品である。
山頂にある主郭を中心に北、東、南と市野川に面した西を除く三方に曲輪を展開する。主郭から外郭に至るまで、大半の曲輪に明瞭な虎口があり、折れを伴う土塁や張り出し、土橋に架かる横矢など、何度訪れても楽しめる城である。
玉ノ岡中学校の北側に見学者用の駐車場が用意されている。中学校内を通って杉山城へ向かうルートが道標で案内されている。
最寄り駅(直線距離)