武蔵 菅谷館むさし すがややかた

城郭放浪記


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武蔵 菅谷館の写真
掲載写真数
形態
平城(62m/20m)
別 名
菅谷城,重忠館
文化財指定
国指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
畠山重忠
歴 史

築城年代は定かではないが鎌倉時代に畠山重忠によって築かれたと云われる。 畠山氏は秩父重弘の子畠山重能が武蔵国男衾郡畠山郷に住んで畠山氏を称した事に始まり、重能の二男が畠山重忠である。

畠山重綱は源頼朝が挙兵したときは平家方として三浦氏を攻めたが、やがて源頼朝に従い頼朝の鎌倉入りや富士川の戦い、奥州合戦などで先陣を務め重用された。しかし、頼朝没後の元久2年(1205年)「鎌倉に異変あり」との急報でわずかな手勢を率いて菅谷館を出発した重忠は、鎌倉幕府の実権を握った北条氏によって武蔵国二俣川で大軍に囲まれ討死した。

長享2年(1488年)には扇谷上杉氏と山内上杉氏によって、近くの須賀谷原で合戦が行われ、このときには菅谷城が築かれていたと考えられている。

その後の動向は定かではないが、太田氏が岩槻城へ移ったあとに、小泉掃部助が居城したと伝えられるのみである。

説 明

菅谷館は都幾川北岸の丘陵に築かれており、現在は比企郡城館跡群菅谷館跡として整備され、その一角に嵐山史跡の博物館が建っている。

菅谷館は高土塁と空堀によって区画された巨大な平城で、東西に長い本郭は北に出桝形と呼ばれる張り出しの土塁を設けて、周囲を巡る堀に横矢を掛けている。本郭の北は二の郭、三郭、南に南郭を配す。二郭と三郭の間には畠山重忠の像があり、三郭に嵐山史跡の博物館が建っている。

案 内

国道254号線バイパス沿いに嵐山史跡の博物館があり、ここが城跡。

最寄り駅(直線距離)
1.1km 武蔵嵐山駅
2.3km つきのわ駅
4.7km 明覚駅
4.9km 森林公園駅
6.1km 小川町駅
所在地/地図
埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷字城
付近の城(直線距離)
1.1km 武蔵 大蔵館
2.4km 武蔵 小倉城
2.8km 武蔵 水房館
3.1km 武蔵 杉山城
4.5km 武蔵 越畑城
4.8km 武蔵 青山城
5.0km 武蔵 青鳥城
5.4km 武蔵 羽尾城
5.4km 武蔵 山田城
5.6km 武蔵 足利基氏館
5.9km 武蔵 山崎城
5.9km 武蔵 泉福寺館
6.0km 武蔵 奈良梨陣屋
6.0km 武蔵 三門館
6.1km 武蔵 高谷砦
6.1km 武蔵 谷城
6.4km 武蔵 中城
7.1km 武蔵 松山陣屋
7.8km 武蔵 高坂館
8.0km 武蔵 高見城
8.2km 武蔵 腰越城
8.3km 武蔵 野本館
8.8km 武蔵 高取山城
8.8km 武蔵 大類氏館
最終訪問日
2012年5月
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