築城年代は定かではないが治承4年(1180年)石井九郎右衛門政綱によって築かれたと云われる。 石井政綱は青山城主青木氏久の家臣であったという。
文明年間(1469年〜1487年)頃には増田四郎重富の居城となり、長享2年(1488年)と延徳3年(1491年)には高見ヶ原で扇谷上杉氏と山内上杉氏による合戦が繰り広げられた。
高見城は森林公園ゴルフ倶楽部の北方にあり、北西から南東へ連なる四津山と呼ばれる半独立峰に築かれている。北西から南東へ伸びた尾根に築かれており、堀切で区画された大小四つの曲輪から成る。
主郭は南東端で四津山神社が鎮座している。神社境内となっているため改変されている部分はあるが、北の堀切に面して土塁が付いている。主郭の南端から九十九折りの道があり、これを降りた所に腰曲輪が一段、そこから東側に向かって武者走りがある。
主郭の北に南北両側を堀切で遮断した小郭があり、さらに北方に二郭がある。 二郭は南北に細長く土塁が付いた曲輪で北と南に虎口を開く。 北の虎口は櫓台ほどではないが、幅広の土塁部を両側に置き、屈折して入る形状で、外側に堀切が付いている。
二郭の北西にあるのが三郭でここが最高所である。北側が一段高く、南下は土塁が付き、西に開口部がある。北へ続く尾根に一条堀切があり遮断している。
東の麓に四津山神社への参道入口があり、入口付近に駐車できる。
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