築城年代は定かではないが治承4年(1180年)頃に山田伊勢守清義によって築かれたと云われる。
天文年間(1532年〜1555年)には松山城主上田直朝の重臣山田伊賀守直定が城主であった。
腰越城は北の山塊から南へ張り出した尾根の頂部に築かれており、槻川が大きく城山を迂回し三方を囲む要害となっている。現在は県指定史跡として良く整備されており、堀切や竪堀をうまく活用した遊歩道が付いている。この道順で散策すると大半の遺構を確認することができる。
主郭は山頂にあり南北に長い長方形で西側に土塁を設けている。 北背後は高い切岸で、北尾根には二条の堀切を設けて遮断している。 主郭は南に虎口を開き、帯曲輪を経て南下の二郭へ通じる。
二郭は主郭の南下に位置し、東測面から南尾根方向に広い削平地を持つ。南尾根は堀切を経て三郭へと通じるが、その先は石灰岩の採石によって山が削られている。
県道11号線から一本南へ入った旧道沿いに「総合福祉センターパトリア小川」がある。ここの駐車場が城山散策者用の駐車場と兼用で、駐車場の入口に案内板が設置されている。
最寄り駅(直線距離)