詳細不明。城主は青木氏と伝えられる。
「関東古戦録」の永禄5年(1562年)の条に「松山城へは上田案楽斎(朝直)、同上野介朝広を還住なさしめ青山、腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」と記されており、松山城の支城として腰越城とともに上田氏の城であった。
青山城は仙元山山頂の南南西にある標高267mの頂部に築かれている。北端最高所に主郭を置き、南尾根に二郭、南東尾根に三郭を配す。少し離れているが小倉城とは尾根続きである。
主郭は北東から南西に長い長方形で土塁が巡り、北東側が一段高い二段の曲輪である。 虎口は北西端と南東端にある。 北西端の虎口は特徴があり、外側に屈折した土塁を設けて、外枡形か馬出のような形になっている。しかし、外側の尾根には遺構はなく、曲輪も存在しない。南東の虎口は内側に土塁囲みの小郭らしき地形があり、内桝形のような虎口になっている。南西の二郭側は石積があり、ここも虎口があったようであるが不明瞭である。
主郭から南東の尾根には堀切を挟んで三郭があり、その先端にも堀切を設けて遮断している。この三郭の削平は甘く自然地形を残す。
主郭から南西の尾根には堀切を挟んで二郭がある。二郭の中央付近にl字の土塁地形があり、先端部に虎口がある。虎口は登山道が本来の道と違う経路で付いているものと思われ、一度東下へ降りて南に出て行くのが本来の通路と思われる。
仙元山への登山道はいくつもあり、北の「見晴らしの丘公園」から行こうかと思ったが、アプローチが長くなりそうなので、北西麓の青山地区からの道を選んだ。(地図)良く整備された道で、尾根まで登ると仙元山とは反対の南へ進めば城跡に至る。
最寄り駅(直線距離)