武蔵 猪俣城むさし いのまたじょう
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築城年代は定かではないが室町時代に猪俣兵庫頭入道によって築かれたと云われる。 武蔵七党の一つ猪俣党の六代兵庫入道が猪俣城を築いて居城としたといわれる。
戦国時代末期には鉢形城北条氏邦の属城であったという。
城は鐘撞堂山から北にのびた尾根の標高305mの所にある。 主各部は南北に長い頂部の中央を空堀で断ち切り、土橋を架けて連結している。南西にのびる尾根は堀切で断ち、北西に伸びる尾根に三段の曲輪を配置し、西の尾根は二重堀切、北の尾根には土橋の架かる堀切を配している。