慶応2年(1867年)松平直克によって築かれた。 松平直克は七代川越藩主であるが、川越藩は明和5年(1768年)までは上野国前橋藩であったが、居城である前橋城が利根川の浸食によって破壊され廃城となり、川越城へ移っていた。 文久3年(1863年)松平直克のとき、幕府の許可を得て廃城となっていた前橋城を改修し、慶応2年(1867年)川越から前橋へと移った。このとき、松山を中心とする三万石余りの飛領地を管理するために置かれたのが松山陣屋で、慶応2年(1867年)に築城を開始し、翌慶応3年(1868年)に完成した。
松山陣屋は現在の東松山市役所から松山第一小学校辺りにかけて築かれていた。 復原図によれば、南西は八幡神社付近で東松山総合会館から市役所にかけて御殿や役所があり、その南に門を構えていた。周囲は土塁と堀が巡り、南東隅のみ広小路となっていたようである。
現在は市役所の東側、県道に面した所に石碑と案内板が建っている。