築城年代は定かではないが浅羽氏によって築かれたと云われる。 浅羽氏は児玉党の一族、入西資行の子行成(行業)を祖とする。
浅羽氏については詳らかではないが、永禄4年(1561年)上杉謙信が越山して関東入りしたさい、上杉方に参じた武将の一人として浅羽下総守がいる。 天正12年(1584年)には北条氏照が上野国金山城と館林城を攻めたとき、浅羽甚内・成友兄弟が氏照に属して道案内をしている。
浅羽城は現在宅地や水田となっており、遺構はほぼ残っていない。住宅地の内にある「城跡公園」の一角に案内板が建っており、この辺りが主郭であったという。