築城年代は定かではない。
長谷川家に伝わる江戸時代の記録に「田波目大かけ城」が記されており、この田波目城との関連が注目される。
城主は定かではないが、近くにある永源寺の大檀那である宿谷近江守重近が田波目城であったと考えられてある。宿谷氏(しゅくたに)は秩父平氏の末裔で秩父平太行重の孫である太郎行俊が入間郡宿谷村に住んで宿谷氏を称したことに始まるとされる。
田波目城は高麗川に面した標高113.3mの城山山頂に築かれている。
山頂には水道施設があり、これに先駆けて行われた発掘調査では縄文時代中期の住居跡三軒が見つかっているが、中世の遺物は見つかっていないという。
城は土塁が付いた主郭と副郭から成るようであるが、土塁は低く外側も堀があるかないかわからないような地形で、切岸もない。居城といういうよりは短期に利用した陣城のような雰囲気がある。川に面した南側は急峻な地形だというが、北側はまったくの緩斜面である。
城山の北側、西坂戸四丁目の南端に公園があり駐車場がある。城山の入口に案内板があり、山頂まで遊歩道が付いている。
最寄り駅(直線距離)