文明元年(1469年)岩松家純によって築かれたのが始まりとされる。
戦国時代になると岩松氏の重臣であった横瀬成繁が台頭、由良成繁と改名して勢力を持つようになる。由良氏は小田原北条氏、越後上杉氏、下野宇都宮氏らの間にあって勢力維持してきたが、天正12年(1584年)頃には由良国繁は小田原北条氏に従い、金山城には北条氏の在番衆が置かれるようになった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めで由良国繁は小田原城に籠城することになったが、母妙印尼が秀吉に味方して功があったことから北条氏滅亡後は常陸国牛久に所領が与えられた。
金山城は小田原攻めで開城となったのち破却され廃城となった。
金山城は標高239mの金山に築かれており、現在は主郭に新田神社が祀られ、登山道が整備されている。
山頂部は発掘調査され石垣造の曲輪群が整備されている。古い石垣は本丸(天主曲輪)北側の部分に残されている。
見附出丸近くのところまで車で上がることができる。山麓にガイダンス施設がある。
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