古代に東山道不破関に設けられた関所であるが、いつ頃設置されたのかは詳らかではない。 「日本書紀」によれば、天武天皇元年(672年)に勃発した壬申の乱で、村国連男依(むらくにのむらじおより)が不破道を塞いだことが知られる。
東山道不破関、北陸道愛発関、東海道鈴鹿関の三つの関を三関(さんげん)と呼んでいる。
延暦8年(789年)桓武天皇により三関は廃止となっている。
不破関は不破関資料館付近に築かれていた。 資料館の南ある道が旧東山道で、そこに関守跡と伝えられる場所があり案内板が設置されている。
関の遺構としては土塁が残っており、北限の土塁は関ヶ原の宇喜多秀家の陣の近くに残っている。