慶長5年(1600年)関ヶ原合戦において東軍の大将徳川家康が最後に陣を構えた。
東軍の大将徳川家康は最初桃配山に陣を構えて軍を指揮していたが、戦局を見ながらこの地へ前進し本陣を構えた。東軍に内通しながら旗色を鮮明にしない松尾山の小早川秀秋に対し、しびれを切らした家康が、鉄砲隊に命じて松尾山へ発砲させたのもこの地であった。
合戦後、武将たちが討ち取った首級の実検がなされた。
徳川家康最後の陣は関ヶ原町歴史民俗史資料館の西隣に築かれていた。 天保12年(1841年)幕府の命によって竹中陣屋の旗本竹中氏によって、この地に土塁などが整備されたという。