播磨 若狭野陣屋はりま わかさのじんや
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寛文11年(1671年)浅野長恒が三千石を分知されて旗本となり、若狭野陣屋が築かれた。 長恒は大石良重の長男で赤穂藩主浅野長直の養子となっていた。
若狭野陣屋は若狭野公民館の西、須賀神社の参道入口付近に築かれている。
陣屋跡には札座の建物である法界庵が残り、西法寺に陣屋門が移築されている。
法界庵(現存 その他)
門(移築 城門)