文安4年(1267年)に岡豊前守が築いた太田林山城に比定する説がある。
代々岡氏の居城で戦国時代には宇喜多氏に従い、関ヶ原合戦で西軍に属して改易となり、岡氏もまた没落したという。
下土井城は矢野川と小河川が合流する地点の北東にある標高129.2mの山に築かれている。
南西に伸びた尾根の先端に築かれており、北東端は三重堀切1で遮断している。堀はいずれも岩盤を削った圧巻の規模である。
ほぼ同じ高さの3つの曲輪I、II、IIIが連なり、その周囲を武者走りを含む曲輪IVで囲んでいるが、南側は段違いで井戸状のくぼみのある曲輪Vになる。
主郭は両端に土塁を伴う曲輪Iと考えられる。曲輪Iは虎口が明確ではないが、IIとIIIはA、Bが虎口の可能性がある。
尾根の先端、西側は堀切3、南側は二重堀切2で、そこから降った山腹に削平地Xがある。遺構か判別は難しいが、加工具合は遺構と判断しても良いように思う。
北側面には畝状竪堀群4があり、明確な四条の竪堀からさらに東へ続いているようだが、段々不明瞭になる。
矢野川に架かる橋のところに下土井農業会館があり駐車可能。そこから少し北へ進んだ民家の奥に「下土井城入口」の道標が出ている。
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