築城年代は定かではない。鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも云われるが定かではなく、南北朝時代に赤松円心の三男赤松則祐によって築かれたとも云われる。
建武3年(1336年)足利尊氏が京を追われて九州へ落ちた後、新田義貞の大軍が播磨へ侵攻し、尊氏を支援する赤松円心は白旗城に籠城し、三男則祐がこの感状山城へ籠もった。新田義貞の家臣徳力三河守秀隆が三千騎を率いて感状山城を攻めたが撃退され、則祐はこの後に感状山城を引き払って白旗城へと入ったという。
感状山城は羅漢の里の東側、標高305mの感状山に築かれている。現在は国指定史跡となり遊歩道が整備されている。
感状山城は石垣を多用した中世山城で山頂部と南西下の山腹部の遺構からなる。 主郭は山頂北端にあり、南北に伸びた尾根に北から北曲輪群、本丸、二の丸、南曲輪群と連なっている。いずれも側面に石垣が残されているが、高石垣ではない。南曲輪群の南端には人一人が通れる石段の付いた虎口がある。
南西山腹部の遺構は南端に物見岩と呼ばれる岩があり、その北に倉庫群、北西に出曲輪がある。この辺りも低い石垣が点在している。南東山腹には大手門跡があり、石垣造りでやや大きい虎口、その奥に井戸が残る。一方北西側山腹には搦手門跡があり、この部分も石垣造りになっている。
羅漢の里を目指して行けば良い。駐車場から羅漢石仏のほうへ歩いて行けば遊歩道入口があり案内板が設置されている。(地図)
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