元弘3年(1333年)赤松円心則村が後醍醐天皇の皇子護良親王の令旨を受けて鎌倉幕府打倒のために挙兵したのが苔縄城であったと伝えられる。
則村は一族で幕府方であった西条山城主の高田氏を攻めて自害に追い込み、山陽道を京へと攻め上った。
苔縄城の場所は定かではない。伝承として苔縄駅の北西に聳える愛宕山の東の峰、現在愛宕社が祀られている所が苔縄城とされる。しかしながら、山上には明瞭な城郭遺構は残されておらず、一説に麓の法雲寺や赤松小学校のある辺りともされる。苔縄城の場所がはっきりしないこともあり、「苔縄城」の石碑は赤松氏居館にある。
法雲寺は赤松氏の菩提寺で円心堂や赤松円心の供養塔である円心塔がある。
苔縄城跡とされる山には「苔縄ふれあいの森」の一角にある展望台からさらに登山道を登るとたどり着く。「苔縄ふれあいの森」へは赤松小学校を目指し、学校の裏から山に入る道がある。道は途中で谷筋と尾根道に分かれるが、どうやら谷筋で登る方が近く、傾斜もきつくない。駐車場は小学校の所にある。
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