詳細不明。上月城主上月氏による築城など諸説あるが、天正5年(1577年)に上月城の西の守りとして羽柴秀吉が築城したとする説が有力とされる。
目高の築地は標高404.6mの三角点がある後山に大成山砦とも呼ばれる北砦、、南方約00mの南峰に南砦があり、その間の尾根を土塁が結び、鞍部を通っていた峠路を押さえるように築かれている。
大成山砦とも呼ばれる北砦は主郭となる山頂部に緩斜面地形があり、1mに満たない微妙な段差で曲輪群があるが、ほぼ自然地形に近い。しかし、南砦から続く土塁はこの山頂部の脇を回り込んで北側の林道近くまで伸びており、西側では畝堀のような形状になっている。
北砦から南砦の間を通る峠路までは土塁が伸びているが、土塁は尾根の南西側に付いており、あきらかに西から攻めてくる敵に備えている。峠路が通っている鞍部がどのような構造だったのかは興味が尽きないが残念ながら林道が通っており細部は失われている。案内板では北砦から続く土塁と南砦から続く土塁が食い違うと書いてあるが、確認したかぎり直線で結ばれるように見え、食い違っていたのかはわからない。
上月城から目高集落に続く車道をそのまま集落の上に進んで行くと山上に民家があり、それを通り過ぎた所に電波塔がある。この脇から主郭に続く山道が付いている。車は林道沿いにあるわずかなスペースに駐める事ができる。
最寄り駅(直線距離)