築城年代は定かではないが、鎌倉時代末期に上月景盛が大平山に上月城を築いたのが始まりとされる。上月氏は赤松氏の庶流で四代続いたが、嘉吉の乱によって滅亡した。
天正5年(1577年)織田信長の部将羽柴秀吉が福原城を攻略して上月城を攻めた。上月城は赤松政範が籠もり宇喜多直家が救援に駆けつけたが、高倉山に本陣を構えていた羽柴秀吉によって上月城は落城し、政範は自刃して果てた。
尼子勝久を担いで尼子家再興を願う山中鹿之介は織田信長に与し、この上月城を守ったが、天正6年(1578年)毛利の大軍によって落城し、尼子勝久は自刃、山中鹿之介は捕らえられて毛利の本陣へ護送される途中に討たれた。
上月城は標高190m程の荒神山に築かれている。現在は麓に資料館、そこから遊歩道が整備されており見学し易い山城となっている。
天正年間(1573年〜1592年)に毛利と織田の軍勢が争奪を繰り広げた城であるが、現在の遺構からはそれほど堅固な城塞という感じではない。
主郭は山頂東端部にあり周囲に帯曲輪と腰曲輪を設けている。北東へ伸びた尾根には堀切が一条、その先に小さな平段が確認できる。一方西へは尾根の先に二郭があり、西端の部分は堀切で遮断する。この堀切は北西側に長大な竪堀として伸び、その途中から北西側を遮断する堀切と竪堀が伸びている。
北麓に上月歴史資料館があり駐車場になっている。資料館の中には付近の城の縄張図入りの説明板が多数展示されており必見。この資料館の前から遊歩道がある。
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