播磨 福原城はりま ふくはらじょう
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築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)佐用範家によって築かれたと云われる。
佐用氏は赤松氏の一族で、その後は福原隼人が在城した。 天正5年(1577年)播磨国に侵攻した羽柴軍によって落城し、城主福原則尚は城に火を放ち高尾山円福寺で自刃した。
福原城は作用川に面した微高地に築かれており、現在主郭土塁の上には福原霊社が祀られている。
以前は耕作地であったが、現在は耕作しておらず、大河ドラマなど影響によって整備されている。主郭背後に高土塁を設け、その背後の道路は空堀であった。