築城年代は定かではない。『赤松家播備作城記』では天正5年(1577年)の上月合戦で安藤信濃守が拠ったと記しており、上月城を攻めた羽柴秀吉方の陣城の一つであったとしている。しかし、畝状竪堀群の存在などから、秀吉側ではなく、毛利側の城とも推測されており、天正6年(1578年)に尼子勝久が籠もる上月城を攻めた毛利方の陣城とする説もある。
仁位山城は佐用川が大きく蛇行して流れる地点に張り出した標高233.3mの仁位山に築かれている。佐用川を挟んだ対岸には上月城がある。
仁位山城は西の山頂部にテレビ塔がありそこまで車道が通じている。この車道によって畝状竪堀群の一部が分断されてしまっているのだが、これのおかげで普段見ることができない畝状竪堀群の断面を見学することができる。
仁位山城は曲輪の造成が少なく、西端の最高所と東端部を削平しているものの、その間の尾根は自然地形の緩斜面である。しかし、南側面には畝状竪堀群や横堀を組み合わせ、南へ張り出した櫓台の横から畝状竪堀群の間にあるスロープへと通じる虎口と通路など、技巧的な遺構を見ることができる。
南側面に比べ北側は加工が少ないが、尾根に三条の堀切を設け、二条の連続竪堀も残る。
舗装された林道が山頂のすぐ下まで通じており車で登ることができる。
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