播磨 高倉山城はりま たかくらやまじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (播磨国/兵庫県) > 高倉山城
Tweet
播磨 高倉山城の写真
掲載写真数
形態
山城(357m/270m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,曲輪,堀切,竪堀,井戸,虎口
城 主
宇野氏,織田氏
歴 史

築城年代は定かではないが建久年間(1190年~1199年)に宇野播磨守則景によって築かれたのが始まりとされる。

天正5年(1577年)織田軍は羽柴秀吉を大将として佐用郡に侵攻し毛利方の上月城などを落とし、尼子勝久を上月城に入れて帰陣した。翌6年毛利方が上月城を取り囲んだため、羽柴秀吉が後詰にきたさいに布陣したのが高倉山城と云われる。

上月城救援は三木城主別所長治が離反したことから、秀吉が書写山へ撤退する。これによって上月城も落城した。

説 明

高倉山城は標高357mの高倉山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。西の尾根続きには毛利方の仁位山城が存在している。

主郭となる山頂部は低い段差の平坦面が連なっているが全体的に削平は甘くなっている。

山頂から東へ伸びた尾根には「古城」の看板があるが、この尾根は西端に大きな堀切を設けて尾根先を曲輪とし、東端にも堀切が一条設けてある。

山頂から南へ伸びた尾根には緩傾斜の曲輪が続くが、西の谷側に高い切岸があり、南の谷間には寺院跡がある。

山頂から北西に続く尾根が毛利方の仁位山城に続くが、この尾根に桝形状の遺構がある。ここから尾根伝いに下ると堀切があり、その先に左折となる食い違い虎口がある。さらに西へ尾根を下ると三角点があるが、この西側に土塁があり、右折れの食い違い虎口となる。ただ、虎口の外側にも土塁が続いていたと考えられ、南端には桝形状の不明瞭な地形を確認することができる。

案 内

登山口はいくつかあるが、東の中島から登るルートがわかりやすい 。県道沿いに道標があり、駐在所の前を通って林道を進むと案内板が設置された駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
2.3km 久崎駅
2.7km 佐用駅
3.0km 上月駅
3.1km 播磨徳久駅
6.6km 河野原円心駅
主な参考文献
現地案内板
【図解】近畿の城郭I(戎光祥出版)
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成 (15)(東洋書林)(兵庫県の中世城館・荘園遺跡)
日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫(新人物往来社)
所在地/地図
兵庫県佐用郡佐用町櫛田
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.3km 播磨 櫛田城
1.6km 播磨 鳶ノ巣砦
1.7km 播磨 猿喰城
1.8km 播磨 飯野山城
1.9km 播磨 比丘尼砦(佐用町)
2.0km 播磨 早瀬城
2.0km 播磨 円光寺砦
2.0km 播磨 福原城
2.1km 播磨 仁位山城
2.2km 播磨 中島城
2.6km 播磨 米田城
2.8km 播磨 浅瀬山城
2.8km 播磨 円光寺山城
2.9km 播磨 上月城
3.4km 播磨 大平山城
3.5km 播磨 多賀城
4.3km 播磨 長田山城
4.8km 播磨 目高の築地(北砦)
4.8km 播磨 目高の築地(南砦)
5.3km 播磨 長谷高山城
5.7km 播磨 福岡城
6.3km 播磨 別所構居(佐用町)
6.5km 播磨 長谷陣屋
6.8km 播磨 広岡城
最終訪問日
2022年3月
TOP > > (播磨国/兵庫県) > 高倉山城