築城年代は定かではないが建久年間(1190年~1199年)に宇野播磨守則景によって築かれたのが始まりとされる。
天正5年(1577年)織田軍は羽柴秀吉を大将として佐用郡に侵攻し毛利方の上月城などを落とし、尼子勝久を上月城に入れて帰陣した。翌6年毛利方が上月城を取り囲んだため、羽柴秀吉が後詰にきたさいに布陣したのが高倉山城と云われる。
高倉山城は標高357mの高倉山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。西の尾根続きには毛利方の仁位山城が存在している。
主郭となる山頂部は低い段差の平坦面が連なっているが全体的に削平は甘くなっている。
山頂から東へ伸びた尾根には「古城」の看板があるが、この尾根は西端に大きな堀切を設けて尾根先を曲輪とし、東端にも堀切が一条設けてある。
山頂から南へ伸びた尾根には緩傾斜の曲輪が続くが、西の谷側に高い切岸があり、南の谷間には寺院跡がある。
山頂から北西に続く尾根が毛利方の仁位山城に続くが、この尾根に桝形状の遺構がある。ここから尾根伝いに下ると堀切があり、その先に左折となる食い違い虎口がある。さらに西へ尾根を下ると三角点があるが、この西側に土塁があり、右折れの食い違い虎口となる。ただ、虎口の外側にも土塁が続いていたと考えられ、南端には桝形状の不明瞭な地形を確認することができる。
登山口はいくつかあるが、東の中島から登るルートがわかりやすい 。県道沿いに道標があり、駐在所の前を通って林道を進むと案内板が設置された駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)