築城年代は定かではない。城主は赤松一族の赤松出羽守満貞、その子孫である安室五郎義長なとが伝承される。
大聖寺山城は安室川の北に聳える標高258mの山に築かれている。
大聖寺山城は山頂部の南北に伸びた峰に築かれており、単郭であるが南北に三段程の平段となる。北尾根は圧巻の岩盤堀切で垂直に近い壁となっている。
南東の虎口1は外側に二段の小郭を備えた虎口で、南東側からの登路は畝状竪堀群5の上端を経由して小郭に繋がっている。
東中央にある虎口2は水之手と思われる岩盤にあく穴に繋がる他、主郭の北下から東下にかけて存在する犬走に繋がる。
南東側にはすり鉢状になった横堀7があり、その北側は腰曲輪状の段で石積が確認できる。下方には畝状竪堀群4が確認できるが西のほうは地表面が荒れていて細部は不明である。
東麓の船坂集落への橋を渡ると西方寺石造宝塔への道標が出ている。それに従って進むと小川に赤い鉄橋が架かっており、上を見上げるとお堂がある。このお堂へ登るとそこから尾根道が山頂まで続いている。
車は橋を渡る手前のあたりに止めることができる。
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