建武元年(1334年)宍戸朝家によって築かれたと云われる。 安芸宍戸氏の祖、宍戸朝家が安芸国高田郡甲立荘に下向し最初に築いたのがこの柳ヶ城とされ、後に南側の山に五龍城を築いて居城としたという。
柳ヶ城は五龍城の北側にある標高385.2mの菊山から派生した標高250m程の尾根上に築かれている。
単郭の城で南東に三段の腰曲輪があり、南東端東側面に畝状竪堀群がある。主郭の北背後は土塁と大堀切となり、さらに北側にももう一条堀切がある。この間はやや間隔が空いているが曲輪とするには微妙である。北端の堀切の側面外側に独立した竪堀がそれぞれ付いている。堀切に面する竪堀は城内側に付くから、この上にも曲輪があるのではないかと歩いて見たが、遺構は確認できなかった。
整備された道はないが、登っていく方向さえあっていれば簡単に登ることができる。県道から少し入った所に石段がありその奥に立派な墓地がある。その辺りから山に取り付くことができる。 (地図)
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