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播磨国分寺国史跡
兵庫県姫路市御国野町国分寺播磨国分寺は現在の播磨牛堂山国分寺の境内にあった。現在の国分寺は寛永16年(1639年)に姫路藩主松平忠明によって再建された真言宗の寺院である。
国分寺は方二町(約216m四方)の規模で、南大門...
淡路国府
兵庫県南あわじ市神代國衙南海道に位置する淡路国は、延喜式の格付けでは下国・近国である。
淡路国府は三原郡にあったことは知られているが、いまだに遺跡は見つかっていない。
南あわじ市に神代國衙という地名が残っており、この辺り...
但馬国府
兵庫県豊岡市日高町祢布山陰道に位置する但馬国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。
但馬の国府は延暦23年(804年)に気多郡高田郷に移転されたことが知られ、移転後の国府は豊岡市日高町にある「祢布ヶ森遺跡(にょうがもり...
但馬国分寺国史跡
兵庫県豊岡市日高町国分寺但馬国分寺は豊岡市日高町国分寺にあり、現在の但馬国分寺は浄土宗のお寺で山号を護国山と号し江戸時代の再建である。
天平勝宝8年(756年)頃に但馬国分寺がほぼ完成した。「続日本紀」によれば、宝亀8年(...
但馬国分尼寺
兵庫県豊岡市日高町水上但馬国分尼寺は豊岡市日高町水上にあり、日高東中学校の東側一帯に築かれていた。
中学校の東側の道路沿いに国分尼寺の礎石が現存しており、この辺りに国分尼寺があったと推定されているが、未だ伽藍の配置や寺の...
栗栖廃寺県文
兵庫県たつの市新宮町千本昭和29年に布目瓦の破片と同箔の鬼瓦三枚が出土した場所で、鬼瓦三枚は県指定重要文化財となり、うち一枚は奈良時代の鬼瓦としては貴重な完形品であった。
一部発掘調査によって八世紀初頭の寺院跡というこ...
西方寺石造宝塔県文
兵庫県赤穂郡上郡町船坂西方寺石造宝塔は鎌倉時代後期の永仁6年(1298年)の銘文が入った宝塔で、兵庫県下でも類例の少ない造立年代が明らかな宝塔で貴重なものである。
西方寺は室町時代に赤松満貞が建立した寺院と云われる。
依藤塚市文
兵庫県たつの市新宮町千本小田城主依藤太郎左衛門豊房と依藤惟次は、嘉吉の乱で城山城に籠城した赤松満祐とともにあったが、白旗城との連絡に行った帰り、城山城の落城を聞いて、この千本村で自刃して果てた。
依藤塚はこの依藤氏の墓...
柏原藩織田家廟市史跡
兵庫県丹波市柏原町東奥柏原藩織田家廟は元禄8年(1696年)に大和国松山より柏原に転封となった織田信休が初代となり、九代織田信民に至るまでの累代の墓所である。この後期の織田家は織田信長の弟織田信雄を祖とする家系であるが、当...
柏原藩織田信勝の墓(成徳寺)市文
兵庫県丹波市柏原町北中(成徳寺)織田信勝は織田信長の弟織田信包をの孫である。織田信包は慶長3年(1598年)柏原三万六千石の大名となり、その子信則、信勝と三代続いたが、慶安3年(1650年)に織田信勝が嗣子なく没したため柏原藩織田家...
武家屋敷安間家史料館
兵庫県篠山市西新町安間家(あんま)は篠山城主青山家の家臣で、天保8年(1837年)の古絵図から禄高は「高12石3人扶持」であった。
この安間家が武家屋敷史料館として整備され公開されており、安間家に伝わる古文書や食...
青山歴史村
兵庫県篠山市北新町青山歴史村は篠山藩主青山家が明治維新の後に別邸とした桂園舎が元になっている。入口にある長屋門は篠山藩士澤井家にあったもので、昭和に入って現在の場所に移築されたものである。なかには珍しい石造金櫃があり、...
旧篠山地方裁判所市文
兵庫県篠山市北新町現在の篠山市立歴史美術館が旧篠山地方裁判所である。この建物は明治24(1891年)に建築された、日本で最古の木造建築による裁判所である。内部には美術品や歴史資料が展示されている他、裁判所の法廷が使用し...
柏原八幡神社
兵庫県丹波市柏原町柏原社伝によれば、舒明天皇の御代(629年〜641年)出雲の連らが素戔嗚尊を奉祀したのが始まりと云われる。
主な祭神は誉田別命(応神天皇)、息長帯比売命(神功皇后)など。
現在の社殿は天正13...
別所長治の首塚(雲龍寺)
兵庫県三木市上の丸町9別所長治は三木城主で、天正8年(1580年)の三木合戦で三木城に籠城したが、織田信長の軍勢に兵糧攻めを受け、城兵を助けることを条件に自刃した。長治の首は織田信長が首実検したあと、雲龍寺の住職が安土に赴...
別所長治の墓(法界寺)
兵庫県三木市別所町東這田(法界寺)別所長治は三木城主で、天正8年(1580年)の三木合戦で三木城に籠城したが、織田信長の軍勢に兵糧攻めを受け、城兵を助けることを条件に自刃した。
法界寺は別所家の菩提寺で自刃した別所長治の遺体を埋...
竹中半兵衛の墓
兵庫県三木市平井竹中半兵衛重治は美濃国菩提山城主で、羽柴秀吉に従って三木城を攻めるために平井山の陣に居たが、陣中病状が悪化してこの地に没した。
現在ある半兵衛の墓は、平井村によって代々供養が続けられていたところ...
三木城主伊木氏の墓(正入寺)
兵庫県三木市本町1丁目7(正入寺)三木城主伊木氏は姫路藩池田氏の筆頭家老として初代伊木忠次が三木城主となり、二代伊木忠繁と続いた。三代伊木忠貞のときには姫路藩池田氏は因幡鳥取へ転封となり、さらに岡山へ転封となっている。
正入寺は...
淡河弾正戦死碑
兵庫県三木市加佐(八幡森史蹟公園)淡河弾正定範は淡河城主で三木城主別所長治の義理の伯父である。織田軍による三木城攻めで、毛利からの兵粮米を三木城に運び込む作戦の途中、平田大村で羽柴秀吉の軍勢と戦い討死(自刃)したという。
淡河弾...
伊木忠次の墓(本要寺)
兵庫県三木市本町2丁目3伊木忠次は姫路藩池田氏の筆頭家老で池田輝政が姫路藩主となったとき、三木城三万七千石を領した。慶長8年(1603年)に没し本要寺に墓が残る。
二代伊木忠繁の墓は正入寺にある。
赤松円心則村の墓(常厳寺)
兵庫県三木市宿原常厳寺の境内背後にある墓地の一角に赤松円心則村の墓がある。
赤松円心は白旗城主であるが、寺伝によると三木に城を築いたときに常厳寺を建立したという。
赤松円心則村の墓は新しい五輪塔であるが、その...
鍛冶宝篋印塔県文
兵庫県赤穂郡上郡町岩城字鍛冶鍛冶宝篋印塔は明徳元年(1390年)「一結衆」という信仰集団によって造られたものと判明している。
千種川沿いの道路に面して案内板が設置されており、ここから線路下を潜りすぐを右へ曲がって線路沿いに...
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