山陰道に位置する但馬国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。 但馬の国府は延暦23年(804年)に気多郡高田郷に移転されたことが知られ、移転後の国府は豊岡市日高町にある「祢布ヶ森遺跡(にょうがもりいせき)」でほぼ間違いない。 発掘調査によって数棟の建物跡が見つかっているが、まだ正殿や倉などの建物跡は見つかっていない。
移転前の候補地は豊岡市出石町の袴狭遺跡(はかざいせき)周辺と豊岡市日高町の旧気多郡内の二つの説がある。
袴狭遺跡からは「国府」と記された木簡・銅鏡・木製祭祀具など多数の出土品があり、役所跡であることは間違いないと考えられている。
一方豊岡市日高町内では、日高町上石に国府駅がある通り、地名として由緒ある名が伝えられているが、この辺りはまだ発掘調査が進んでいない。
祢布ヶ森遺跡は豊岡市役所日高支所の南側に祢布ヶ森遺跡公園があり、国道312号線を挟んだ西側には「但馬国府・国分寺館」の博物館がある。