依藤塚よりふじつか
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小田城主依藤太郎左衛門豊房と依藤惟次は、嘉吉の乱で城山城に籠城した赤松満祐とともにあったが、白旗城との連絡に行った帰り、城山城の落城を聞いて、この千本村で自刃して果てた。
依藤塚はこの依藤氏の墓で、江戸時代の天明6年(1786年)に子孫が石碑を建立している。千本にある浄福寺の西にあり、お寺の南の道を西へ歩いけばすぐ北側にある。