築城年代は定かではないが依藤豊秋によって築かれたと云われる。 依藤豊秋のとき小田城を築いて小沢城より移ったと云われる。
嘉吉の乱(1441年)では小田城主依藤太郎左衛門豊房は城山城で自刃した赤松満祐のあとを追って揖保郡千本村で自刃した。
「赤松家播備作城記」によると永禄年間(1558年〜1570年)に落城したという。
小田城は東条川の南岸にあり川に向かって北へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
主郭は川に面した丘陵の北端にあり、北を除く三方に土塁が残る。南は土塁と空堀で南西隅付近に開口部があり、西下の小郭へと通路がある。空堀を挟んで南にも土塁があり、東の通路沿いに土塁が残っている。
圃場整備による調査では、東側の水田の所に県道から川に至るまで水堀が検出されている。
県道75号線沿いに石碑が建っている。そこから小道を北へ進んでいくと御堂があり、そこから城内に入ることができる。
最寄り駅(直線距離)