播磨 田尻氏館はりま たじりしやかた
△トップに戻る
念仏城を詰城とした田尻氏の居館という。
「兵庫県の中世城館・荘園遺跡」によれば、田尻氏の菩提寺である総持寺の北東220m付近に田尻氏の館があったと伝えられるが、現在は耕地整理によって遺構はない。
田尻氏は「清水寺文書」によって田尻大和守盛実・田尻小次郎盛忠・田尻甲斐守忠行の名が知られ、天正年間(1573年〜1592年)の三木合戦によって田尻忠行は三木城に籠城して死んだと伝えられる。