築城年代は定かではない。 寿永3年(1184年)平家討伐の源義経が、三草山西の山口に陣取った平家七千余騎の軍勢を襲撃した源平古戦場として登場する。
建武年間(1334年〜1338年)頃には赤松出羽守則友が城主であったと伝えられるが、詳らかではない。
三草山城は標高423.9mの三草山山頂に築かれている。 主郭は山頂にあり、南へ伸びた尾根に曲輪を配しており、概ね標高400m以上の部分が城域となる。
主郭は北端の山頂で、南へ向かって階段状に削平地を連ねる。この段は西側に現在の登山道が付いており、曲輪内を通らずに主郭へ通じるようになっている。東側の山腹には帯曲輪が二・三段あり、切岸は垂直に近く明瞭に残る。
南へ続く曲輪は南端付近で広くなり、東側へと向きを変える。この南東端付近は側面に石積が残り、東麓の「口池」から続く登山道は東の虎口らしき所に通じる。この部分は外側にl字に土塁がつき、内側は一段低く桝形状になっている。
東麓の畑登山口から登ったのだが、「源平合戦古戦場(三草山)」の案内板は山頂から南東にある標高360m付近に建っている。
登山道はいくつかあるが、一番簡単に登れそうな東麓にある「口池」にある畑登山口から登った。ここには駐車場とトイレも完備されている。
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