築城年代は定かではない。文治2年(1182年)依藤豊季が東条谷の地頭職に任ぜられて居城としたのが小沢城とされ、依藤豊秋の時代に小田城へと移ったとされる。
天正6年(1578年)細川城主冷泉為純・為勝父子が三木城主別所長治に攻められたとき、小沢城主依藤太郎左衛門が救援に駆けつけたが敗れ、冷泉為勝と依藤太郎左衛門は依藤野にて自刃して果てた。(小田城にも千本村で自刃した依藤太郎左衛門がいたが、この人物とは別人である。)
小沢城は南西に張り出した丘陵に築かれている。
標高130m程の山頂の主郭を中心に北東と南東下に段があり、南西に堀切を挟んで二郭がある。二郭は南北に長く、南西側に二段ほどの小段が付いている。
主郭と二郭との間の堀切は通路を兼ねていたものか、そこから山下へ降りていく道が付いている。
小沢城の前の県道564号線を社方面へと走っていくと冷泉為勝と依藤太郎左衛門の自刃の地と墓がある。(地図)
南側には動物除けの柵がなされているが、農道の奥の部分から柵内に入ることができる。それを入ると墓地に至りの辺りから登ると二郭の先端に通じる。
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