築城年代は定かではないが本郷弥三郎頼兼によって築かれたと云われる。 本郷氏は赤松円心則村の長子赤松範資の三男赤松掃部介直頼が山名氏との戦いなどで戦功を挙げ、宇弥城(有年城)を居城として本郷氏を称した事に始まる。 本郷頼兼は明徳2年(1391年)明徳の乱で戦功を挙げ、宇弥城より転封となり比延山城を築いて居城とした。
本郷氏は以後比延山城を居城として代々続き、天正年間(1573年〜1592年)の八代出羽守好種は羽柴秀吉に炭二十荷を送り礼状を受け取っている。
比延山城は加古川の東岸、西脇東中学校の東に聳える標高287.0mの比延山山頂に築かれている。
比延山城は南北二郭から成る山城で急峻な自然地形を利用した要害である。 山頂の北郭は自然地形が多く、山頂部以外は自然地形に近いもので、北側へ降りた所にやや細長い段が付いている。
北郭に対して南郭は頂部を中心として南北に整然と段が連なっており、段差はさほど高いものではないがしっかりしている。現在はこの南郭に石碑が建っている。
西麓にある城山公園の駐車場に案内板が設置されており、グラウンドの南端から登山道が付いている。
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