築城年代は定かではない。
永禄年間(1558年〜1570年)頃の城主は有田修理大夫重利(重則とも)で、大永年間(1521年〜1528年)に赤松氏に従って戦功をあげ、永禄・元亀年間(1558年〜1573年)に別所孫右衛門と争って敗れ滅亡したという。
近くにある石上神社には天文11年(1542年)銘の棟札が残り、大願主は上原左京大夫兼視と記されていることから、上原氏を野村構居の城主とするものもある。
野村構居の跡とされる妙見堂の背後には上原左京大夫兼視と有田修理大夫重則の供養塔が残る。
野村構居は加古川左岸の平地に築かれていたという。 妙見堂のある一帯が構居跡とされる。現在妙見堂の境内は周囲より一段高く、東側には土塁のような土盛りがあり、南側の畑は堀跡のようにも見えるが、遺構は不明である。
鳴尾山城が野村構居の詰城と考えられている。
2012年2月現在、架け替え工事中である県道348号線の野村橋の西詰の南側に妙見堂がある。
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