承久2年(1220年)赤松景能によって築かれたと云われる。 その後赤松廣景の時に一時没落し、享禄3年(1530年)堀井長満が再興したという。
江戸時代には旗本斯波氏が居住したとも伝えられている。
城は八王子神社の北東にあり、四方を濠で囲まれた方形の館跡がほぼ完全な形で残っている。虎口は南にのみ開き土橋が架かる。
どうやら最近まで竹薮であったようであるが、現在はきれいに取り払われて整備はされていないものの方形の館跡がそのままの状態で見ることができる。 内部には廃屋もあるが、神社か何か建っていたようである。内部には区画する土塁や石積で段を作った跡が見られるが、遺構かどうかはわからない。
中世城館報告によれば明治時代に修築されたようであるが、これだけ見事な遺構が残る館は是非とも保存して頂きたいものである。
八王子神社を目指すと良いだろう。八王子神社の北東50m程の所が城址である。また、河合城主上月氏の墓碑と伝えられる五輪塔が二基八王子神社にあるということである。五輪塔は確かにあるが数が多くどれか判断できない。
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