播磨 牛居構居はりま うしいこうきょ
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城主は金鑵城主中村六郎友之の嫡子で中村牛居助吉早と伝えられる。
中村牛居助吉早に関する史料は錯綜しており、嘉吉年間(1441年〜1444年)の人で善坊山城主赤松則繁に従っていたというものや、天正年間(1573年〜1592年)の人で慶長元年(1596年)に七十五歳で没したというものがある。
牛居構居は大歳神社付近にあったとされるが確証はない。神社前の水田に「殿垣内」と称し居館があったとされるが遺構はなく、現在は大歳神社に「牛居城主 中村牛居祐吉早」の碑が建っているのみである。