築城年代は定かではないが赤松則繁によって築かれたと云われる。 赤松則繁は赤松義則の八男で赤松満祐の弟にあたる。
嘉吉元年(1441年)赤松満祐は室町将軍六代足利義教を暗殺すると、赤松則繁は播磨へ退き美作口を守ったと云われ、その後は城山城で兄赤松満祐とともに戦った。
山名軍に包囲された善防山城は、油を含ませた竹の皮を張り巡らせて攻めてくる敵が滑って攻め上がれないようにしたが、逆に火を掛けられて城は焼け落ち落城したという。
善防山城は標高251mの善防山山頂に築かれている。 主郭は山頂にあるがそれほど広くなく、巨石がゴロゴロした地形になっている。 南西尾根に浅い堀切で区画して一郭あり、その先は急峻な地形になっている。
主郭から南東へと続く尾根には石積した門跡と見られる地形が所々あり、切岸にも石積跡が点在している。東尾根先の「第二頂上」の看板のある所が二郭と思われ、しっかりした石積が西面にあり、曲輪もしっかりして北東側に馬蹄形の段が階段状に数段続いている。
登山道はいくつかあるようですが、西の尾根続きにある古法華寺の所から尾根伝いに登る道を選択。古法華寺の所に大きな駐車場やトイレもある。
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