築城年代は定かではないが建武年間(1334年~1338年)に後藤基明によって築かれたのが始まりとされる。
天正年間(1573年~1592年)の城主は後藤基信であったか羽柴秀吉の播磨侵攻によって滅亡したという。
黒田家臣となった後藤又兵衛基次はこの後藤氏の庶流で南山田城主であったとも伝えられている。
春日山城は標高197.8mの春日山(飯盛山)に築かれており、現在は登山道が整備されている。山の名前は国土地理院では飯盛山であるが、現地案内などは春日山とされ、北にある峰は小飯盛山と呼ばれている。
主郭は山頂にあり中央付近に浅く岩盤を削り込んだ窪みがあり食料貯蔵庫と標柱が立っている。土塁などはなく虎口も不明である。主郭の周囲には帯曲輪があるようだが、草木で覆われており細部は未確認である。
北麓にある小飯盛山部分も整備されていたので立ち寄ってみたが、この部分も城の遺構と思われる。
西山腹にある西邦寺、春日ふれあい会館のあたりに駐車可能で、登山口も北の西邦寺付近と南の運動公園側などがある。
最寄り駅(直線距離)