築城年代は定かではないが在田肥前守左衛門尉朝範によって築かれたと云われる。 観応2年(1351年)黒崎山城主の赤松朝範は足利尊氏と足利義直が戦った光明寺合戦で足利尊氏に味方し、その恩賞として得た加西郡在田荘に築いたのが笹倉城で、在田朝範(有田とも)と称した。
二代則康は早世したため、赤松祐利が城主となり、笹倉氏を称して代々続いた。 天正6年(1578年)五代笹倉則賢は別所氏に味方して籠城したが、天正8年(1580年)に自刃した。則賢の子、笹倉則知は近江国長浜へ逃れて隠棲し没したが、その子、笹倉平左衛門のときに帰郷して城跡の一角に屋敷を構え、長浜と姓を改めたという。
笹倉城は極楽寺の北にある比高20m程の丘陵に築かれている。
なだらかな丘陵の頂部を方形に段切りして主郭としており、周囲はなだらかな地形で、東から南にかけては宅地となっており、現状では単郭の城に見える。
主郭は周囲を切岸にして方形の段を切り出し、やや自然地形の残る平地で中央に古墳のように高まりがある。東側から南側にかけて横堀になっており、東側は竪堀が付いている。居城というよりは、陣城のような雰囲気である。
北側から簡単に山に入ることができる。
最寄り駅(直線距離)