築城年代は定かではない。 国人領主中村氏の居城であった。
中村氏は赤松氏の家臣で嘉吉の乱で赤松満祐に従って一時衰退したが、のちの赤松氏再興に尽力して河合郷を賜った。
天文8年(1539年)赤松晴政によって中村予次郎の西河合の所領が別府源三郎に与えられ、中村氏は没落したという。
金鑵城は加古川西岸の台地の東端に築かれており、現在は夢の森公園として櫓や門、城柵などが建てられ整備され、駐車場やトイレも完備してある。
金鑵城で現在確認されている遺構は主郭と西曲輪であるが、周囲にも拡がっていた可能性がある。主郭は土塁囲みであったが、旧陸軍などによる改変のため削平されており、公園整備によって土塁が復元されている。
主郭の北側に大堀切があり、西曲輪とは木橋で繋がっていた。主郭側の虎口に隣接する土塁で櫓と推測される建物跡も検出されている。
県道23号線や付近の道路には「夢の森公園」への道標が出ている。公園の駐車場から木橋を渡れば主郭。
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