承応2年(1653年)一柳直次によって築かれた。
一柳直盛が六万八千石に加増され伊勢国神戸から伊予国西条へ赴く途中死去したため、嗣子直重が三万石で伊予国西条を継ぎ、次子直家が伊予国宇摩郡、周布郡と播磨加東郡小野で二万八千石で伊予国川之江、第三子直頼が伊予国小松で一万石を継いだ。
川之江藩主一柳直家は但馬国出石城主小出吉親の次男直次を養子として幕府に届け出たが許可がおりる前に直家が没したため。遺領のうち播磨一万石のみを相続することを許され陣屋を小野に移した。最初に移ったのは飛領地を管理していた敷地陣屋で、後に小野陣屋が築かれ明治まで続いた。
現在は小野小学校と好古館の敷地となり小学校の前に石碑が建つのみである。