築城年代は定かではないが志方家金によって築かれたと云われる。 志方家則の次男家金が城主となり、その子家基は井口伝右衛門と称して赤松政則に従って武功を挙げた。家基のあとは井口家繁で、揖保郡浦上荘へと移ったという。
天正年間(1573年〜1592年)はじめに志方城主櫛橋氏の家臣依藤三河守、依藤小八郎の居城となり、天正6年(1578年)別所氏に従って三木城に籠もった。
井ノ口城は加古川北岸の河岸丘陵の南端に築かれていた。 台地の南東端に位置する加古川温泉みとろ荘の建つ所が本丸とされ、西に二ノ丸があったという。