羽柴秀吉を大将とする織田信長軍が別所長治の籠もる三木城を攻めた三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)で築かれた織田方の陣城の一つ。
這田村法界寺山ノ上付城は宮部継潤の陣城であったと伝えられており、第二期に築かれた陣城群の一つである。
這田村法界寺山ノ上付城は法界寺の南背後にある標高80m程の山に築かれており、現在は「三木城跡及び付城跡・土塁」として国指定史跡となっている。
這田村法界寺山ノ上付城は数ある三木城合戦の陣城の中でも技巧的な遺構を残す陣城である。主郭と副郭が東西に並びともに方形で土塁が巡っている。東が主郭で南に虎口があり、虎口の先が馬出状になっているのが特徴である。この馬出状の遺構は主郭と土橋で繋がり、l字の堀を配して鈎状に通路を曲げて南の尾根に出るようになっている。
主郭部から北の山腹には無数の帯曲輪が雛壇状に並び、多数の兵士が布陣していたことを伺わせる。また南へ続く尾根には更にl字の土塁があり、その先は朝日ヶ丘土塁(国史跡)へと続いている。
別所長治の墓所がある法界寺の裏に登山道の入口があり、入口に駐車可能である。登山道へは法界寺の境内を経由して進めばよく、道標が出ている。
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