築城年代は定かではないが別所氏によって築かれた。 三木城の支城の一つで、三木合戦では別所長治の弟彦乃進友之が守っていたが、天正8年(1580年)1月11日に織田軍の攻撃によって落城した。その後、秀吉自身がこの鷹尾山城に入って三木城の別所長治と対峙し、三木城開城交渉が行われた。
鷹尾山城は三木市役所の西側にあり、西へ伸びた丘陵に築かれていた。
鷹尾山城の遺構は三木勤労者体育センターの西側に一部残されており、東に堀切、南から東側に土塁が巡り、南西下に浅い堀、西は帯曲輪などが残っている。
三木市役所の隣にある三木勤労者体育センターの入口に道標が出ている。そこから奥へ登ると案内板があり、その辺りに駐車できる。
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