羽柴秀吉を大将とする織田信長軍が別所長治の籠もる三木城を攻めた三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)で築かれた織田方の陣城の一つ。
平田村付城の城主は吉田庄左衛門と伝え、第一期に築かれた陣城群の一つと考えられている。
天正7年(1579年)三木城への兵糧搬入を遂げたい毛利方は9月10日に平田村や大村を襲い、同時に三木城からも別所勢が押し寄せて三木城への兵糧搬入を試みた。この戦いで織田方は谷大膳が討死、別所方も秀吉の援軍によって別所甚太夫、三太夫などが討死し、別所方の敗北となった。
平田村付城は平田小学校の北側にある低丘陵に築かれていた。現在は墓地となっており、その一角に谷大膳の墓がある。少し山に入ると土塁のような遺構があるが、はっきりしない。
南側に谷大膳の墓に続く道があり、入口付近に駐車可能。
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