羽柴秀吉を大将とする織田信長軍が別所長治の籠もる三木城を攻めた三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)で築かれた織田方の陣城の一つ。
二位谷奥付城の城主は浅野弥兵衛、一柳小兵衛と伝え、第三期に築かれた陣城群の一つと考えられている。
二位谷奥付城aは白川街道という古道の近くに築かれていた。
現在は遺構が完全消滅しておりおそらく道路になっている部分で、特に案内板なども設置されていないようである。発掘調査によって検出された遺構は三木城攻めの付城群のなかでもトップクラスのもので、主郭に付随する二つの曲輪群とそれを取り巻く外郭の二重構造であったようである。