羽柴秀吉を大将とする織田信長軍が別所長治の籠もる三木城を攻めた三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)で築かれた織田方の陣城の一つ。
平井山ノ上付城は天正6年(1578年)に織田信長の嫡男織田信忠によって築かれた。その後、織田信忠から羽柴秀吉へ引き継がれ、秀吉が三木城攻めの大将として本陣を構えた。10月には三木城から別所勢が平井山に攻め込んできたため合戦となり、別所長治の弟治定などが討死して織田軍が撃退した。
平井山ノ上付城(秀吉本陣)は平井集落の南東の山に築かれている。現在は「三木城跡及び付城跡・土塁」として国指定史跡となり遊歩道が整備されている。
秀吉の本陣である平井山本陣は、長らく地元の伝承から北方の平井村中村間ノ山付城がそうだとされてきたが、近年の研究によってこの地が本陣であることが確認された。
平井山ノ上付城はコの字の土塁で囲まれた標高143mの所を主郭とする陣で、広範囲に削平地が築かれているが、明瞭な堀はなく、曲輪の一部に土塁を設けているのみである。ただ、主郭と東の二郭の部分には虎口があり、南の谷筋を大手とする道は二郭の東端にある土塁囲みの曲輪を大きく迂回して二郭へ入る道となり堅固な備えである。
秀吉本陣の道標に従っていけば駐車場に至る。本来の大手は与呂木集落からの道であるが、駐車場からは別ルートで遊歩道が整備されている。
最寄り駅(直線距離)