永暦元年(1160年)別所刑部六輔頼清によって築かれたと云われる。 別所頼清は別所氏の祖で、赤松季則の次男である。永暦元年(1160年)に加西郡在田荘別所村に移り、別所城を築いて居城とし別所氏を称した。これが後に三木城主として著名な別所氏の出自の一説である。
伝承によれば、以後十一代続き、文明3年(1471年)頃に別所小次郎則治が三木に新城(釜山城)を築いて移ったという。
河内城は河内町にある六處神社の西に聳える標高280m程の山に築かれている。 現在は「河内ふれあいの森」として、整備されたハイキングコースに一部にある。
河内城は東西方向に長い山頂部を二条の堀切で区画して東西二郭とそれを繋ぐ中曲輪から成る。いずれも岩肌のゴツゴツした地形で、削平地自体も小さい。基本的に東西二郭であったとおもわれ、東曲輪は南東方向に小段がつき、西曲輪は南西下と北西下に腰曲輪が付き、北西側は一条か二条の浅い堀切で遮断している。北の山へ通じる尾根にも堀切らしき窪地がある。
登山口はいくつかあるようですが、六處神社(六処神社)から整備された遊歩道が付いている。神社の参道の途中に少し駐車できるスペースがある。
最寄り駅(直線距離)